奥只見春秋聞
五月の連休でしたが、福島県の成法寺を目指したことがありました。成法寺は一度も行ったことがなかったのですが、国の重要文化財一覧に載っていて、原田さんが前から気にしていました。関越にのって新潟小出から国道252に入り、奥只見に行こうとしました。
ところが、峠に差し掛かったとき、除雪ができていなくて通行止めになっていました。只見は積雪量が多いことで有名ですから覚悟はしていました。いつも冬タイヤを履き換えるのは、原田さんが来ることの多い五月の連休が終わってからにしていましたので、足回りは大丈夫なのですが、通行止めではいたしかたありません。
あきらめるのかと思いきや、植田さんの地図帳ナビは、次のルートを指示します。関越自動車道で一旦新潟へ出て磐越道に乗り換え、会津坂下からR252を逆に攻めると言うのです。ナビは気軽に言いますが、アッシーの愚痴の一つも出ようというもの。
只見川沿いにJR只見線と平行に走る国道252は、所々雪がありましたが、早春の福島の美しさは息を呑むほどでした。私はあのような美しい春を見たことがありません。トンネルを抜ける度に、すばらしく優しい色に包まれた私たち3人は歓声をあげました。
雪道をスタッドレスタイヤ頼りにやっと目的地に着いたときには、距離計が1000キロを超えていました。只見駅前でそばを食べ、一息入れて、県道269号に入り、成法寺を目指します。梁取の町を行きつ戻りつして探しますが、これといった表示もなく、どこにあるのかさっぱり分かりません。旧沼田街道に入ってすぐの左手に、お堂らしきものを見つけました。
「あれやないかね」
「そうかもしれん。けど、えらい荒れとるのお」
「無人かもね」
「取あえず見てみよう」
二人を車から降ろして近くの公園に車を止めます。車のドアを閉めてひょいとお堂の上の方を見上げますと、大岩が聳え立っています。なんという奇岩怪石! 大岩が、その懐に小さなちいさなお堂を抱いているように見えました。
「原田さん! 植田さん! あれ! あれ! あれ見てん! 」
私は右手で指差し、左手で手招きしました。二人が車のほうに近寄って来て、お堂の後ろの大岩を見上げます。絶句している様子が顔を見なくても分かりました。
原田さんは突然、声を上げて泣き出しました。過去にもお堂や瀧を見て泣くことはありましたが、このときは特に感動しているようでした。
「俺が来るのを待っちょったように感じる・・」
それから原田さんは周辺を遠巻きにうろうろしていましたので、しばらくそっとしておきましたが、植田さんが、
「原田さんちゃ、あの右側の大岩が日光菩薩で、左が月光・・ 」
と言いかけますと、
「うるさい! わかっとるわい! ごちゃごちゃ言うなっちゃ! 」
と、たいそうな剣幕で怒り出しましたが、目は、泣いていました。泣きの与太郎の真骨頂の場面です。しばらくして、
「いやあ、無理して来てもろうて、よかった。ありがとう。おおきに・・」
と、ぼそっといいました。植田さんは、原田さんのその言葉を聞きたくてあちこち連れて行っていたのではないかというような気がします。
成法寺の観音堂は平安時代の建物です。茅葺寄棟造りの廻り縁のある構造で、後ろに他仏山が聳える古刹です。国の重要文化財に指定されていますが、あまり手入れがされていないように見えました。しかし、長い間この地方の厳しい風雪に耐え抜いてきたのです。見事としか言いようがありません。千年の時空を超えて当時の人々との会話ができている、ある奇妙な感動を覚えました。
原田さんが亡くなって三年がたった頃の秋。私は一人で同じ場所に出かけました。ルートはもちろん初めに行こうとして阻まれた右回りのコースです。もちろん雪は無い季節でしたが大変運転が難しい山道で、こんな道をあの雪の残る頃に行こうとしたのかと、ナビ氏の無謀さにあきれました。
途中の峠で休憩し、只見湖と、紅葉に包まれた只見線の鉄橋の美しい風景に見とれました。この秋の景色も原田さんと見たかったなあ、としみじみ思いました。
人は、感動した時や喜びの時に、隣に言葉を交わす誰かがいないというのは、こんなにつまらないものかと思いました。
成法寺に着き、前と同じ場所に車を停めて、しみじみとお堂と山を眺めました。懐かしい風景です。スケッチもしました。写真も撮りました。しばらく思い出に浸っていましたが、やはり、原田さんには会うことはできませんでした。
今度は私が声を上げて泣く番でした。
寂しい帰り道でした。